top of page
濤沸湖がわかる10のキーワード
04.製軸工場 History
濤沸湖周辺の人々の歩み
-
北浜(濤沸)周辺は漁業から
現在の網走地方に和人が「場所(アイヌとの交易をするところ)」を設置したのは、今から220年ほど前の寛政2(1790)年ごろ。
濤沸湖のある北浜周辺は、漁業を主として開けた所で明治20(1887)年ごろには6戸の漁業者がいたと記録されています。
-
マッチの製軸工場
明治24(1891)年、現在の北浜ユースホステルの近くに山田製軸工場が操業を始めました。マッチの軸だけを作る工場で、原木を近くから運ぶため、現在の浜藻琴までの間に木炭の軌道車(トロッコ)が走っていました。
マッチの軸となるのは、軟らかく加工しやすいヤマナラシ類で、北見地方が北海道内最大の産地だったそうです。
-
釧網本線、走る
釧網(せんもう)本線は、網走駅と釧路市の東釧路駅を結ぶ日本最東端の地方交通線です。オホーツク海側の網走と太平洋側の釧路を結ぶ目的でつくられ、網走の囚人たちも建設に関わりました。
[釧網本線] 網走側は、網走本線の延長として大正13(1924)年に濤沸湖に最も近い北浜駅まで開通。昭和4(1929)年までに札鶴(現在の札弦)まで延伸しました。釧路側からも建設が進み、昭和6(1931)年、全線が開通しました。
現在、オホーツク海の流氷や北浜、小清水原生花園、知床半島、摩周湖、釧路湿原などを通る観光路線として人気があります。
bottom of page